【書籍レビュー】KKP #8 うるう から ”うるうのもり”購入しました
お久しぶりのみぃむ( id:ml_myme )です。
最近書籍をいくつか購入したので、少しずつですがレビュー等記載していこうかと思います。
うるう(小林賢太郎プロデュース公演#008「うるう」)
うるうの横浜講演を観劇しました。
元々舞台作品が好きでいろいろ見ているのですが(せっかくなので観劇した別の作品についても書きたいな)、ラーメンズとして有名な小林賢太郎さんの演劇作品となってます。
珍しく一人舞台(正確には2人・・・もちろんスタッフさんも多数)で、4年前に一度公演されています。
実はこの時にも観劇していて、とても良かったので4年たった今年の再演も観劇しました。
”うるう”はよく聞く名前の通り、うるう年の”うるう”です。
こちらに関する話が出てきたのは、Kentaro Kobayashi Solo Performance Live Potsunen 2010 『SPOT』の中で、”うるうびと”という話がありました。
こちらと話は別物ですが、根底のコンセプトは同じ感じです。
この「うるう」を元に作られた書籍が「うるうのもり」となってます。
あの森に 行っては いけません
うるう という おばけが でますから
高い 高い 木の上で
うるう うるう とないている
おばけが でますから
うるうのもり
上記作品から出てきた絵本となっています。
差し込まれているイラストも文章も小林賢太郎さんが書いたものです。
小林賢太郎さんの独特な世界観がめいっぱいでている雰囲気を持っていて、「ノケモノノケモノ」を思い出させる不思議な雰囲気を本全体が持っていました。
劇の視点とはまた別の視点で描かれており、劇とは別の楽しみ方ができます。
帯にに書かれている紹介文で気になれば是非手にとって見てください。
小林賢太郎が贈る、
おかしくて、美しくて、
少し悲しい、
ある友情の物語。
あらすじ
うるう年の うるう日のように、
「余りの1」が
世界のバランスを とることがある。
人間もそう。
世界でたったひとりの 余った人間
「うるうびと」。
彼が少年と 友達になれなかった
本当の理由とは……。
あのとき僕は たしかに
おばけの うるうに 会ったんだ。
学校から少しはなれたところにある暗いもり。
そこには「うるう」というおばけがいるので、行っては行けません、と学校の先生から言われているのに、ついついその森へ足を踏み込んだ少年。
そこであった「うるう」とは。
ここからネタバレ含めつつの感想になります
うるう 初演と再演の違いで一番気になったラスト部分
ラスト、友達の数を数えていたタビュレーティングマシンの数字が出てきます。
0のままで、ずっと隣でチェロを演奏していた徳澤さんの招待がまじるとわかって鳥肌がたってしまったのですが、
ここで確か初演の時は一番最後に舞台が暗転してから、ずっと0だった数字が1に変わったんですよね。
それが、最後だったんですが、再演時はこの演出はありませんでした。
実はここが本当に好きな場面だったんですが、うるうのもりを読むと、四一とまじるは最後無事出会えたのかがわからないんですよね。
そしてたとえ友達が1人できたとしても、やはり歳の取り方がかわることはなく、四一よりもまじるが先に死んでしまうから・・・なんでしょうか。
SPOTのうるうびととうるう
うるうの中でも、書籍でも、このどうしても一人余ってしまう人は「うるうびと」と呼ばれています。
四一「さながら私はうるうびとだ」
いつも一つあまる。いつも一つ足りない。
どちらも切ない話ですが、SPOTは、うるうびとが一人、自分が一人、余ることで、自分のように余ることがなくなる、という感じでした。
それに比べるとうるう・うるうのもりは少し救いがある感じでしょうか。
友情に関する物語になっています。
うるうびと「よかった、ひとつも、余らなかった」
作った砂の家族が崩れ、友達が崩れてしまう、ただただ胸が締め付けられました。
そういえば、「○ -maru-」の最後の「丸の人」にも似ている切なさがありますね。
これが本当に幸せだったのか。
絵本と公演の違い
一番の違いは視点。
舞台は四一で書籍の方はまじる目線で描かれています。
そしてうるうはうるうであり、四一という名前が出てこない。
少年は少年であり、まじるという名前がでてこない。
これはこれで良かったと思います。
絵本という短い中だったので、グランダールボや呉村(クレソン)先生の話はでてきませんでした(結構好きでした)
※ちなみ英語とエスペラント語の造語になりますが、に第三の父親、グランダールボは grand arbo で「大きな樹」 、その後一人になって新しくできてまだ小さな木のあるブーストは arbo boost で「伸びて(成長して)いく樹」 ではないのかな?という記載をどこかで見た記憶がありますw
そして年齢の違い。
舞台はまじるが8歳。四一が38歳で出会って、40年後、まじるも四一も48歳となります。
絵本はきりが良い数字で少年が10歳、うるうが40歳から40年後に少年とうるうが50歳となります。
ここの微妙な違いはえほんという媒体に合わせてキリの良い数字にしたのかな?
うたのはなし
うるうのもりの最後にも記載されていますが、最後にかさなる2つの歌。
「3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ ニ長調」と「待ちぼうけ」のコード進行はいわゆる日本人が好きなコード進行と呼ばれ、パッフェルベルのカノンはいろいろな曲で使われていたりしますよね。
動画があるので、はりつけておきますw
Canon in D (Pachelbel) - パッヘルベルのカノン -
まちぼうけ
まとめ
そんなこんなで兎に角満喫しました。
小林さんの頭の中を覗いてみたい人にはいい作品だと思います。
個人的には遠くに「ノケモノノケモノ」がハマった方にはオススメかと。
レビューとか書いたものの、文章を書くのは苦手なのでおもいつくがままにたらたら書いてしまいました。
どこまででも切ない作品だと思います。
友達ってなんなんでしょうかね。